70年のあゆみtrajectory

開設前史 井手内科医院に始まり
聖マリア病院開設へ

聖マリア病院創設者で初代病院長となる井手一郎。その父用蔵は、禁教を耐えて戦国時代からの信仰を守り抜いた潜伏キリシタンの村(現在の福岡県大刀洗町今村地区)で育ちました。用蔵は、村人たちの資金援助で長崎医学専門学校で医学を修め、1915年、久留米市荘島町に井手内科医院を開業します。45年8月の久留米大空襲で医院は焼失したものの、大刀洗や久留米のカトリック信者たちの援助を受け、48年に一郎とおいの井手速見を呼び寄せて井手医院として久留米市日吉町にて再開します。早朝から深夜まで自転車で往診に駆けずり回る毎日で、ベッド17床に対し20人超えの入院患者を抱える日々が続いたといいます。
そのころ、カトリック久留米教会の棚町神父らと結核療養所の計画を立ち上げます。県衛生部の指導、県土木事務所や市の復興部の尽力もあり、結核療養診療所計画は病院建築構想へと発展。一郎を中心に計画が進行し、52年に医療法人雪ノ聖母会が設立され、翌53年9月25日に聖マリア病院開設の日を迎えます。

  • 1915年 4月 久留米市荘島町に井手内科医院を開設(1945年8月に焼失)

  • 1948年 2月 久留米市日吉町に井手医院を開設(~1986年3月)

  • 1952年 3月 医療法人雪ノ聖母会設立。
    初代理事長に井手一郎が就任

  • 1953年 9月 久留米市津福本町に聖マリア病院を開設
    内科、小児科、放射線科を標榜、結核病棟79床で診療を開始。初代病院長に井手一郎が就任

    聖マリア病院の開設許可証

1950 年~ まだ「亡国病」と呼ばれていた時代
結核の治療を中心に診療スタート

1950年代に「亡国病」と呼ばれていた結核の内科的治療を中心に診療をスタートした聖マリア病院ですが、58年には外科的治療、歯科治療を開始しました。これは後の救急医療や透析医療の推進につながっていきます。
当時は新生児の死亡原因の大部分を未熟児が占めていて、厚生省(現厚生労働省)が未熟児対策として養育制度の整備など諸施策に取り組んでいました。聖マリア病院も地区保健所の勧めで、開放式保育器3台、コット(新生児用ベッド)2台を備えて未熟児医療を開始します。最初は年間入院した新生児6人のうち生育退院できたのはわずか1人。未熟児養育の難しさを物語っていました。それでも、未熟児医療という未知の分野への挑戦と“小さな命を守る”という使命感の下、未熟児養育に献身します。熱意は実り、1958年には福岡県未熟児養育医療機関の指定を受け、未熟児の入院数・生育退院数は年々増加していきました。64年には佐賀県、67年には熊本県の未熟児養育医療機関の指定を受け、その後、総合病院としては国内初の新生児科の開設、聖隷浜松病院(静岡県浜松市)に続く国内2台目の新生児専用救急車の導入など、周産期医療は充実していき、本邦の新生児死亡率の低下にも大いに貢献しました。

  • 1953年 11月 結核予防指定医療機関に指定

    結核病棟で行われた第1回クリスマス会(1953年12月)

  • 1958年 3月 一般病床24床を新設。外科、歯科の診療を開始

  • 12月 福岡県未熟児養育医療機関に指定

    新生児に囲まれる井手一郎。のちに開設される新生児センターでは新生児入院数が160人を超えたこともあった

  • 1959年 8月 労災保険指定医療機関に指定

1960 年~ 「すべての患者を全日24時間受け入れる」
今日まで受け継がれている救急医療活動

1960年代になると、結核の化学療法の進歩によって外科的治療を必要とする患者は減少していきます。58年に開始した外科も、当初は結核治療を主体としていていましたが、当時社会問題化しつつあった交通事故による外傷に対応すべく、救急外科へと質的転換を図ることになります。63年10月、聖マリア病院救急部が編成されます。この時立てられた「すべての患者を全日24時間受け入れること」という方針は、今日の救急医療活動にも受け継がれる信念です。当時は2人の外科常勤医、3人の放射線技師、2人の検査技師で24時間体制を強行していました。現在の救命救急センターの充実ぶりは、当時からすれば隔世の感があります。

  • 1960年 9月 精神病床102床新設。精神神経科の診療を開始

  • 1961年 10月 精神衛生法指定病院に指定

  • 1963年 12月 一般病床88床、未熟児センター21床新設。整形外科、麻酔科の診療を開始

    1958年から患者搬送で活躍した車両。63年には正式な救急医療車両となった

  • 1964年 4月 佐賀県未熟児養育医療機関に指定

  • 12月 福岡県救急告示病院に指定

  • 1967年 4月 熊本県未熟児養育医療機関に指定

  • 5月 産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科の診療を開始

  • 6月 総合病院の名称使用を承認される

  • 1968年 9月 本館病棟落成。一般病床145床増設

1970 年~ 透析医療体制の構築、整備
念願の看護教育がスタート

重篤な救急患者がいた当時の集中治療室(ICU)には、急性・慢性腎不全、薬物中毒の患者もいました。しかし、当時筑後地区には、救急治療を必要とする腎不全の患者に対する施設はありませんでした。そのため、院内で透析ができるよう、体制作りが急がれました。全国的な透析患者の急増で、腎不全対策が国家施策として強く押し進められていたこともあり、聖マリア病院での透析医療も急ぎ整備されていきます。
また聖マリア病院は、念願だった看護学院の設置を果たします。当時、医療機関にとって最も憂慮されていた問題の一つが看護師不足でした。1973年に開学した聖マリア高等看護学院はその後、聖マリア看護専門学校、聖マリア学院短期大学を経て、聖マリア学院大学の開学へとつながります。2023年に看護教育開始から50年の節目を迎えました。

  • 1971年 7月 財団法人九州産業衛生協会(のちの福岡県すこやか健康事業団)を久留米市津福本町に設立。聖マリア病院予防部の公衆衛生業務を同協会に移譲

  • 1972年 5月 血液透析を開始

  • 8月 身体障害者福祉法指定医療機関(整形外科)に指定

  • 育成医療委託契約による先天性疾患児に対する公費による治療制度を導入

  • 10月 身体障害者福祉法指定医療機関(心臓血管外科)指定、追加承認

  • 12月 人工腎臓センター落成

  • 1973年 4月 聖マリア高等看護学院開学

  • 身体障害者福祉法指定医療機関(腎臓)指定、追加承認

  • 腎臓に関する厚生医療の指定医療機関に指定

  • 5月 聖マリア医学(聖マリア病院、聖マリア高等看護学院、九州産業衛生協会の機関誌)創刊

  • 1976年 6月 聖マリア高等看護学院の名称を聖マリア看護専門学校に変更(学制改定)

  • 1978年 5月 聖マリア医学会発足

  • 7月 聖マリア新生児・小児救急医療センター落成(~2016年8月)

1980 年~ 国際協力活動が本格化。1800人超えの研修生を受け入れ、670人の専門家を派遣

創設者の井手一郎には、充実していく病院機能を発展途上国への医療協力にも向けたいという思いがありました。1984年、カイロ大学小児病院(エジプト)に技術指導者として看護師3人を派遣したことをきっかけに、聖マリア病院の国際協力活動は本格化します。主に国際協力事業団(現独立行政法人国際協力機構:JICA)の業務を受託する形で、2022年3月末までに127カ国から1800人超の研修生を受け入れ、44カ国に670人の専門家を派遣してきました。2004年には、より多様な活動を展開するためにNPO法人ISAPH(アイサップ)を開設しました。カトリックの理念を共有する海外の大学・医療機関との連携も進んでいます。特に韓国との交流の歴史は古く、88年に韓国カトリック病院協会(現韓国カトリック医療協会)と医療技術協力協定を締結し、30年以上の交流を重ねています。
86年には、福岡市の大名町教会から移設され、現在は聖マリア病院のシンボルの一つとなっている雪の聖母聖堂の献堂式が行われました。

  • 1980年 6月 聖マリア救急医療センター新館(現研究棟)落成

  • 1982年 11月 学校法人聖マリア学院を久留米市津福本町に設立。雪ノ聖母会が行ってきた看護師養成を同法人に移譲

  • 1983年 4月 聖マリア脳神経広域救急医療センター(現中央診療棟南側)落成

  • 6月 リハビリテーションセンター落成

  • 1984年 9月 国際協力事業団(現独立行政法人国際協力機構:JICA)の要請でエジプトのカイロ大学小児病院に看護師3人を派遣。これにより国際協力活動が本格的に開始

  • 1985年 4月 国際保健センター(現検査棟)落成

  • 1986年 4月 聖マリア学院短期大学開学

  • 5月 新生児特定集中治療室管理施設基準(30床)が承認

  • 自動化健診施設に指定

  • 8月 雪の聖母聖堂の献堂式

  • 1987年 1月 リハビリ医療センター落成(~2010年1月)

  • 4月 租税特別措置法第67条の2第1項の規定による特定医療法人に承認

  • 1988年 3月 聖マリア病院本館(現中央診療棟北側)落成

  • 10月 韓国カトリック病院協会(現韓国カトリック医療協会)と日韓カトリック医療技術協力協定を締結

1990 年~ 超高齢化社会に対応する病院に再構築
「医療の継続性」と「医療の包括性」の確立へ

1990年、井手一郎の長男道雄が2代目理事長・病院長に就任します。この頃の聖マリア病院は、医療費抑制策や医療制度改革を背景に大きな転換を迫られます。
「救急医療を中心に急性期医療に力を注いだ時期が続いた後、長期入院の患者さんは地域の病院にお願いして在宅をやろうとしましたが、入退院がスムーズにいきませんでした」。地域のニーズは一体何なのか-と考えた病院長の道雄は、超高齢化社会に対応し得る病院へ再構築するためにPFFH(Patient and Focused Hospital、患者さんとその家族に焦点を当てた医療)に舵を切ります。それまで地域の信頼を得てきた救急医療体制を維持し、急性期医療の発展に力を注ぎながら、老人保健施設や療養病床群を開設することにより、急性期~亜急性期~長期慢性期~在宅医療という「医療の継続性」と保健・医療・福祉による「医療の包括性」の確立を目指して動き出しました。

  • 1990年 4月 2代目理事長・病院長に井手道雄が就任

  • 臨床研修病院に指定

  • 12月 聖マリアRIセンター開設

  • 1991年 1月 マリアンハウスⅡ落成

  • 1993年 2月 聖マリア老人訪問看護ステーション開設

  • 7月 久留米市聖マリア在宅介護支援センター開設

  • 1994年 7月 株式会社サンループ設立(~2020年3月31日)

  • 1995年 4月 老人保健施設聖母の家開設(老人保険法)

  • 11月 社会福祉法人福成会が事業譲渡により、聖マリアグループ法人化

  • 1997年 6月 聖母病棟落成

    聖母病棟(中央)と95年に開設した聖母の家(左)

  • 1998年 5月 公益財団法人日本医療機能評価機構の病院機能評価、初認定(以降5年ごとに更新)

  • 12月 福岡県総合周産期母子医療センターに認定

  • 1999年 5月 地域災害拠点病院に認定

  • 12月 聖マリア新救急医療センター(現外来診療棟)落成

2000 年~ 病院完結型から地域完結型への転換
地域医療の拠点病院としての役割を

小児・周産期医療と救急医療を中心に地域医療に貢献する体制を整えてきた聖マリア病院は、2006年に救命救急センターとして県の指定、08年には地域がん診療連携拠点病院として国の指定を受け、同年に地域医療支援病院の承認を受けます。高齢化と共に医療の継続性、包括性が進む中で、医療は病院完結型から地域完結型へ転換し、聖マリア病院は、地域医療における拠点病院としての役割がいっそう明確になっていきました。09年、公立病院並みの公共性が求められる社会医療法人に認定されます。
院内では、01年から雪の聖母会付き司祭(チャプレン)が活動開始。07年には法人司祭とともにカトリックの理念の浸透や雪の聖母聖堂での毎日のミサなどに携わるチャプレン室が設置されました。

  • 2000年 4月 慢性疾患児家族宿泊施設マリアンハウスⅢ落成

  • 聖マリアケアプランサービス、聖マリアホームヘルプサービス開設

  • 聖母の家が介護老人保健施設に指定(介護保険法施行)

  • 2003年 4月 久留米市からの委託により病児保育事業(マリアン・キッズ・ハウス)を開始

  • 皇太子さま(現天皇陛下)、新生児センターを行啓

  • 2004年 7月 3代目理事長に井手義雄、病院長に藤堂景茂が就任

  • NPO法人ISAPH開設

  • DPC試行的適用病院となる

  • 2006年 4月 聖マリア学院短期大学が、聖マリア学院大学へ改組開学

  • DPC対象病院となる

  • 久留米広域小児救急センター開設

  • 二類感染症病床として、2床新設

  • 8月 救命救急センターに指定

  • 12月 臨床修練病院に指定

  • 2007年 4月 チャプレン室を設置

  • 10月 独立行政法人自動車事故対策機構(NASVA)療護機能委託病床の運営委託を受ける

  • 12月 公益財団法人日本適合性認定協会より臨床検査の国際規格ISO 15189認定

  • 2008年 2月 地域がん診療連携拠点病院に指定

  • 4月 地域医療支援病院に承認

  • 学校法人ありあけ国際学園保健医療経営大学開学(~2023年3月31日)

  • 6月 先進メディカルセンター落成

  • 12月 雪の聖母会健康保険組合設立

  • 2009年 3月 社会医療法人に認定。「雪ノ聖母会」を「雪の聖母会」に改称

  • 4月 4代目病院長に島弘志が就任

  • 財団法人福岡県すこやか健康事業団発足(2020年より聖マリアグループを離れ、公益財団法人ふくおか公衆衛生推進機構に)

2010 年~ 地域の医療ニーズに対応できる機能を整備
次代を担う研究センター始動

2011年3月11日、東日本大震災が発生。聖マリア病院は翌12日のDMAT隊員派遣を皮切りに、各部署の希望者の中から病院独自の医療チームの派遣、臨時診療所の開設など、被災地で約100日間、医療支援活動を展開します。日常のシステムに乗った医療とは異なり何もかもが足りない状況の中、診療所に訪れる人たち一人一人の気持ちにどのように寄り添うべきか。医療人としてのあり方を見つめ直すきっかけとなる出来事でした。
12年には新たに「地域医療支援棟(通称:タワー棟)」が完成。70年前に病院が開設された時に病棟があった始まりの場所に建設された地域医療支援棟は、その名の通り、地域の医療ニーズに対応できる機能と地域災害拠点病院の役割を果たすためのシンボルとなっています。
21年10月には、次代を担うと期待される聖マリア研究センターが組織され、24年3月に鉄骨造5階建ての新施設が完成予定です。

  • 2011年 3月 11日、東日本大震災発生。12日未明、日本DMATとして職員を派遣。20日、聖マリア病院の医療チームを岩手県に派遣、24日より臨時診療所を開設

    被災地で活動する聖マリア病院のDMAT隊員たち

  • 2012年 3月 公益財団法人日本適合性認定協会よりISO 9001認定

  • 12月 聖マリア病院国際医療センター地域医療支援棟(タワー棟)竣工

  • 2013年 12月 ローマ教皇庁駐日大使ジョセフ・チェノットゥ大司教が来訪

  • 2014年 10月 聖マリアヘルスケアセンター開院

  • 2017年 4月 アイルランガ大学病院(インドネシア)と技術協力協定を締結

  • 感染症病床を検査棟2階3室6床から地域医療支援棟13階6室6床に変更

  • 2018年 3月 プリンセス・アレクサンドラ病院(豪州)と姉妹提携

  • 8月 タイグエン病院(ベトナム)と技術協力協定を締結

  • 2020年 3月 聖マリア病院新型コロナウイルス感染症対策本部設置

  • 9月 JMIP(外国人患者受け入れ医療機関)の認証

  • 2021年 10月 メディカルフードセンター落成

  • 聖マリア研究センター設立

  • 2022年 2月 文部科学省より科学研究費助成事業の認定を受ける

  • 4月 5代目病院長に谷口雅彦が就任

  • 11月 バンビーノ・ジェズ小児病院(イタリア)と国際交流協定を締結

  • 2023年 9月 25日 25日開設70周年